企画展示

江戸のあかり展 II

 

火は熱と光をだす。あかりには暖かさと明るさがある。原始時代の真っ暗な夜、人々は暖かい火に集まり暖を取り明かりをとった。江戸の人々はどのようにして「あかり」を作って来たか?江戸の人々の工夫の歴史をみてみよう。

火は熱と光をだす。火には暖かさと明るさがある。原始時代の真っ暗な夜、人々は暖かい火に集まり、暖を取り、明かりをとった。江戸の人々はどのようにして「あかり」を作って来たか?江戸の人々の工夫の歴史をみてみよう。

たき火のあかり

「万葉集」に鵜飼いのかがり火が詠まれている歌があり、「あかり」として使われていた。薪は樹脂の多い松の木、特にその根が一番明るくかつ長時間燃え続けることを経験的に発見し、それを束ねて「松明(たいまつ)」として持ち歩き用の「あかり」として使った。

油のあかり 

野外の「火」が、屋内の「あかり」としたのは油だった。油は植物と動物で、漁村では魚油であった。動物油や魚油は臭いが強いため、ハシバミ、ごま、エゴマ、ホソキなどの油が使われたが、江戸初期から菜種油が使われ、菜種の生産が盛んになった。菜種油の安定生産供給は、「あかり器具」にも大きな変化をもたらし、あんどんやひょうそく、灯台などあらゆる照明器具が考案された。しかし乍ら、菜種油は高くイワシなど安い魚の脂の倍以上もしたので、庶民は魚油を使わざるを得なかった。

  • ひょうそく

「灯芯(イグサの芯)をお椀や壺の縁にたらし、油を吸い上げた灯芯に火をつけあかりとした。その後、器が工夫され、器の中央に芯をだし、油汚れや油の無駄をなくした。形は様々で急須や茶器と見間違うものもあり、呼称も灯明皿、灯台、タンコロと多様でした。

  • 行灯(あんどん)

ひょうそくを木や鉄の枠に和紙で囲い、その中に灯明皿を置いたもの。形も多様でおしゃれなものが多い。関東では「角」型。関西では「丸」型が多いといわれる。平仄とちがって和紙の部分に布などを覆い、必要に応じて明るさを調整したり、レンズを付けたりする行灯などもある。

蝋燭(ローソク)のあかり

  蝋燭(ろーそく)は、奈良時代に仏教の伝来とともに中国からもたらされた「蜜蝋燭」(蜜蜂の巣から採ったロウを)があったが、高価であったため普及しなかった。漆(ウルシ)や櫨(ハゼ)の実を潰して搾った木蝋(モクロウ)を使った和蝋燭は、1375年の太平記にその記述があるが、和蝋燭が普及したのは江戸時代に各藩が経済振興策として漆や櫨を栽培して蝋燭が普及していった。蝋燭は、持ち運び可能のため、燭台、提灯、がんどう、ぼんぼりなどの新しい照明器具を生んだ。

  • 燭台

  ろうそくを立てるための細い棒の付いた灯火具。高さ、大きさなど形態は多様で用途別にあらゆるものがつくられた。仏具,神具などにも使われ、そのほか手燭、旅行用の折り畳み式携帯燭台、壁掛け用燭台、伸縮燭台もある。

  • 提灯

  竹ひごをらせん状に回し骨として周りに和紙を張り、中にローソクを立てて使った。その後、上下のふたを箱状にし、骨組みを蛇腹状にして折り畳むと箱に収納できる箱提灯ができ、それをさらに小型化し丸型にしたのが小田原提灯で、小田原宿で考案されお土産として販売したという。

江戸のあかりと明るさ

 燭台や行灯でどのくらいあかるさになっただろうか?『大江戸生活体験事情』のなかで、行灯の明るさについて、照度計を用いて測定している。これによると、行灯の明るさはおよそ二〇ルックスで、六〇ワット電球(千ルックス)の五〇分の一程度である。行灯に本を近づけて、大きな文字がようやく読める程度だったらしい。ローソクは高価で一本二百文。今で四千円位したというから、庶民は早寝早起きするしかなかったでしょうね。