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『漫俳』と岐阜の人たち

第2次世界大戦末期(昭和20年)、岡本一平は西白川村(現在の白川町)に疎開してきました。昭和23年、彼が没するまでの間当時としては画期的な17文字で綴られた「漫俳」、「似顔絵」などの活動を精力的に行い地域の人たちとの交流を通じて得た財産は今も人の心に残り続けています。展示品の中には漫俳発症の地白川で書かれたものやご子息の岡本太郎さんが若年期に描いたとされる絵、この地で知り合った人の似顔絵など地域との関わりの強い展示となっています。

地方史研究家の「黒野こうき」氏による岡本一平に関する資料を収集して行われた企画展示会はこれが2回目になります。

中日新聞7月10日号掲載