鵜飼船と渡船

「太田の渡し」で使用される船として、渡船四艘、尾張藩から貸し与えられた鵜飼船五艘、御馳走船一艘が配置され、船頭十六人に対し給米一石が与えられました。

 渡船は、長七間半(約十三.七メートル)幅五尺(約一.五メートル)で、人馬や荷物を渡したと考えられています。渡賃は『濃州徇行記』によると、一人につき六文、馬一匹につき九文で、増水すると割り増しがあったようです。


 この鵜飼船は「舳高船」とも「笹舟」ともいわれ、舳先が高く造られていました。構造的に増水時にも運行が可能なものでした。現在の長良川の鵜飼船とは別のものです。