往来手形

江戸時代に庶民が旅をするときは身分証明書と通行許可証を兼ねた往来手形を必ず携行しました。これは往来一札ともいいます。旅立ちに先がけて、村役人か檀那寺から発行してもらいます。
書式は手形所持者の住所と名前、宗旨名、旅の目的が書かれています。泊まる場所がなく途方に暮れている場合は宿を提供してもらい、病死した場合はその地域の作法によって取り扱いを決めてもらうように依頼してあります。

 

往来手形(往来一札)

 

太田宿から鵜沼宿までの間の勝山村は木曽川に面し、交通の難所でした。

木曽川の岩壁に、観音菩薩がまつられ、「岩屋観音」として人々の信仰を集めました。道行く人々は道中の安全を祈り、交通関係者は灯籠や石柵を寄進しました。

京都の奈良屋久兵衛店中は、鵜沼宿の松屋次郎右衛門を世話人にたてて、道中安全の灯籠を寄進しました。

太田宿の林勘兵衛、林市左衛門、吉野屋庄吉らは 金百疋、金二百疋を寄進して、その名を石柵に残しています。(一疋は約十文程度といわれています。)