加納屋という屋号は、幕末から明治にかけて活躍した落語家三遊亭円朝
(天保一〇年〜明治三三年)の「敵討札所の霊験」に登場する太田宿の
木賃宿の名前に由来します。
敵討札所の霊験(一部抜粋)
山之助お繼は其の晩遅く落合に泊り、翌朝になりまして落合を出立致して、大井といふ処へ出ました。これから大久手細久 手へ掛り、御嶽伏水(伏見)といふ処を通りまして、太田の渡しを渡って、太田の宿の加納屋という木賃宿に泊まります。ちょうど落合から是れまでは十二里余 の道でございますが、只今とは違って開けぬ往来、その頃馬方が唄にも唄いましたのは木曾の桟橋太田の渡し、碓氷峠が無けりゃア宜いと申す唄で、馬士などが 綱を牽きながら大声で唄いましたものでございます。
※ この会館においては、加納屋は旅籠として設定しています。