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企画展示案内

中山道、太田宿に関連した企画展示を期間限定でおこなっています。江戸時代を中心に中山道にまつわる貴重な展示物を無料でご観覧頂けます。

1/25~5/25 【江戸の捕り物道具展】開催中!

更新日:2014年01月30日

 

展示期間 平成26年1月25日~5月25日         展示場所 太田宿中山道会館 展示室

 

江戸の捕り物道具展

 

 

 

 

現代は警察制度による治安体制が整っているが、江戸時代の治安体制はどんなだっただろう?江戸幕府で江戸の町の治安警備にあったのは老中の支配下の町奉行でした。今で言うと「警視庁」のようなものですが、町奉行は現在の警察と裁判所を兼ねた機関で、更には消防署の役割も果たすなど、実際にはもっと幅広い行政の役割ももっていました。町奉行は、幕府だけでなく諸国の各藩でも町奉行を設置していました。

 

江戸の町と人口

  江戸末期の人口は町人だけで六〇万人。当時は町人のみの統計で、武家屋敷や寺社、芸人等は統計されていませんでしたので、合わせると一〇〇万人を超えていたと言われます。又、面積は美濃加茂市の面積より少し大きい八〇平方キロと言われておりますが、町人地は僅か十八%で、残りは町奉行の権限の及ばない武家地と寺社地でした。そこに江戸八百八町がひしめいていました。

 

 

北町奉行・南町奉行

北町奉行、南町奉行と言われるように江戸町奉行は二カ所あり、月番で交代して任務に当たっていました。月番でない奉行所は、月番の時の案件などの事後処理、裁判事務の処理をして忙しく働いていました。

 奉行は、午前中は江戸城に登り老中と打合せや報告をして、午後は奉行所で決済や裁判を行いました。奉行の下に与力、同心が配備されていました。奉行所の実働部隊は、与力や同心で、これらは将軍家の家臣で世襲で勤めていました。南北両奉行には、それぞれ二五騎の与力(与力は馬上が許されたため馬も込みで単位は「騎」)と、一〇〇人の同心が配備されました。与力はそれぞれ四~五人の同心を部下として捜査、治安維持にあたりました。

 

与力

与力は、現在の警察署長級ですが、民事・刑事裁判担当の司法官でもあり、また行政官として同心を指揮・監督するなど多忙であったようです。与力は役宅として八丁堀に三千程度の屋敷が与えられ、大名や町家などからの付け届けも多く、裕福でした。粋な身なりで人気があり与力・力士火消の頭を「江戸の三男」と称しました

 

同心

同心も着流し姿や巻羽織などな身なりで人気がありましたが、一方、罪人を扱う汚れ仕事であったため不浄役人と蔑まれることもありました。時代劇では十手を腰に差していますが、史実では懐に隠し持っていました。これは捕具であると同時に身分を証明するものであったため、スリなどによる盗難に用心し、また張り込みや尾行では身分を隠す必要もあったからです。

 

岡っ引、手先、下っ引

    人口60万人の江戸の町を100人の同心だけで取り締まるのは困難で、同心の私的な部下を町人から雇い、実際に犯罪捜査や犯人逮捕に携わったのが岡っ引(目明かし、御用聞きとも言う。)でした。岡っ引は同心から僅かなお金を貰うだけで生活ができず、捜査上の権限を悪用して、町人からマムシのように嫌われたとも言われています。この岡っ引の部下として手先、下っ引がおり、聞き込み捜査や下調べを行いますが、他に職がないと食べて行けないので、捕り物には出なかったそうです。

 

捕り物道具

 

大捕り物となると、奉行が与力に命じ、配下の同心を連れて行きます。捕り物に必ず現れるのが三道具(みつどうぐ)。三道具とは、刺股(さすまた)・突棒(つくぼう)・袖搦(そでがらみ)の三種類の捕り物用の道具(捕具)の総称です。三道具は、江戸時代などにおいて犯罪容疑者を捕獲するための道具で、これらは、非致死性の武器ですが、被捕縛者が負傷する場合もある荒っぽいもので、対象者が苦痛で抵抗する気力を失ったところで捕らえる道具でした。柄の部分には、先端部周辺は金属の板が補強に用いられ、などで払われても破損することがないようになっていたほか、ここを握り締めて抵抗したり逆に奪われないよう、鋭い刺が生えていました。これで対象者を押さえつけたり叩いたりします。これを受ける側は抵抗するほどに細かい擦り傷や引っかき傷を負うことになり、その視覚的な「痛そうな雰囲気」もあって対象を威圧する効果がありました。使用時には、複数の捕方(逮捕するための人員)が各々これらの道具を手に持って、よってたかって突いたり引き倒したり押さえ付けたりして捕縛しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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