中山道 太田宿と太田の歴史
往来手形
更新日:2008年02月23日
江戸時代に庶民が旅をするときは身分証明書と通行許可証を兼ねた往来手形を必ず携行しました。これは往来一札ともいいます。旅立ちに先がけて、村役人か檀那寺から発行してもらいます。
書式は手形所持者の住所と名前、宗旨名、旅の目的が書かれています。泊まる場所がなく途方に暮れている場合は宿を提供してもらい、病死した場合はその地域の作法によって取り扱いを決めてもらうように依頼してあります。
往来一札
一濃州賀茂郡西脇村佐市と申者、宗旨ハ代々
禅宗、当寺旦那紛無御座候、今般西国 巡礼罷出候、所々御関所無相違御透 可被下候、若行暮候節ハ一夜之宿被
仰付可被下候、若又、病死等仕候共、本国
え御届ケ不及其御地、御取置可被下
候、為後日、往来一札、如件
尾州領
濃州賀茂郡西脇村組頭
禅宗 光徳寺 印
天明五年巳正月
所々
御関所御役人衆中
諸寺院執事
村々役人衆中
道中安全
太田宿から鵜沼宿までの間の勝山村は木曽川に面し、交通の難所でした。 木曽川の岩壁に、観音菩薩がまつられ、「岩屋観音」として人々の信仰を集めました。道行く人々は道中の安全を祈り、交通関係者は灯籠や石柵を寄進しまし た。京都の奈良屋久兵衛店中は、鵜沼宿の松屋次郎右衛門を世話人にたてて、道中安全の灯籠を寄進しました。太田宿の林勘兵衛、林市左衛門、吉野屋庄吉らは 金百疋、金二百疋を寄進して、その名を石柵に残しています。(一疋は約十文程度といわれています。)




