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太田宿と太田の歴史

今に生きる船頭

更新日:2008年02月15日

 明治時代以降、船頭や筏乗などの川で生活していた人々は、ダムの相次ぐ建設や鉄道の整備、昭和二年(一九二七)の太田橋の完成などにより、その姿を消していきました。

 しかし、大正三年(一九一四)には地理学者・志賀重昂による「日本ライン」の命名や昭和二年(一九二七)の大阪毎日新聞による日本新八景の選定など、観 光地として木曽川は脚光を浴びました。昭和六年(一九三一)に「木曽川」は国の名勝として指定されました。また、昭和三十九年(一九六四)には、「飛騨木 曽川国定公園」として選定されました。
 こうした中で、太田の有志により昭和初期、太田遊船組合が設立され、「日本ライン下り」の遊覧船とし て観光化が着手されました。その後、組合は統廃合を繰り返し、現在は、木曽川観光株式会社として営業を続けています。「日本ライン下り」の船頭は、かつて の船乗たちの魂を受け継ぎながら、今も多くの人々を楽しませています。

 
 

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