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太田宿みどころガイド

たびまろくん中山道69次の51番目の宿場、美濃十六宿の中央にある太田宿。
太田宿には、中山道三大難所の一つに数えられた「太田の渡し」があり、尾張藩の代官所もあったことから、政治・経済・文化の中心地として栄えました。
現在も古い町並みや枡形などが残り、宿場情緒を楽しみながら散策できます。

太田宿本陣・福田家

更新日:2008年02月28日

 江戸時代、宿駅制度はもともと幕府の全国支配のために設けられ、各宿場には本陣・脇本陣が置かれました。その中で、大名・旗本・宮家・幕府の要人などが休息する施設として最も重要な役割を果たしたのが本陣です。
その規模は広大で、建物の構造においても、門・玄関・上段の間を備えるなどの共通性がありました。

十八世紀後半における太田宿の本陣は福田次郎右衛門でした。当時の屋敷図が残っており、その屋敷構えがしのばれます。また、本陣の福田家は脇本陣 の林家、林新右衛門家とともに一年交替で太田村の庄屋をつとめていました。尾張藩勘定所の御用達もつとめ、米・木材の売買、酒造業も行っていました。 福田家は、代々本陣を世襲し、庄屋もかねて太田村の村政を統括していました。
 第十八代目太田宿本陣当主福田太郎八は、嘉永六年(一八五三)父の死去により太田宿本陣・惣年寄・庄屋となりました。木曽川の留木裁許役、山之上村・上蜂 屋村・深田村の立入庄屋をつとめる有能な地域の指導者でした。幕末から明治にかけて太郎洞池などの溜池整備や新田開発に心血を注ぎました。

 
 

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